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2005年 イベント&トピックス

第2回 WFP生徒作文コンクール 入賞作品

佳作

昔、日本の子どもも飢えていた
岡部 達美  千代田区立麹町小学校6年  (東京都)

今年の八月、日本は、六十回目の終戦記念日を迎えました。ここ千代田区でも、千鳥ヶふちで、戦没者い霊の式典が行なわれました。私は、二年前から始めた、日本の戦争調べを、今年も、しました。今年のテーマは、学童そ開です。戦争中の子どもたちの様子が、どうだったのか、とても関心があったからです。

そこで、私は、学童そ開を経験した小学校の同窓生や、区内の小学校の卒業生の方を捜しました。そして、やっと、一人の大先輩にお会いできました。昭和十五年、麹町小学校入学の中村さんです。

中村さんは、昭和十九年、山梨県にそ開しました。
「四ツ谷・新宿・大月と、遠足に行く気分で、校庭に集合。でも、親は校舎の中には入れなかった。」
「したくができ、校門を見たら、いっぱいの人たちが見送りに来ていた。大変なことだと、その時、思った。」
「見送りの人たちの数の多さと、これから、どこか別の所にでも行くのかという気持ちでもって。子ども心にも、こわくなっちゃったんですね。」
中村さんの予感は、あたりました。そ開先の様子を、次のように語ってくださいました。
「親に、早く帰してくれと、手紙を書いた人がいた。」
「私は、脱走の計画を立てたのよ。おやつのカンパンを集めて、夜中に逃げようと。」
「空腹で、まいった。」
「とにかく、寒さと飢えで、そ開は、終戦があと一ヶ月のびていたら、死んでたと思う。」
私は、初めて、『飢え』ということばを、この時、聞きました。

今から、たった六十数年前、日本の子どもは、飢えていました。親元を離れ、経験したことのない寒さに耐えきれず、ひもじい生活をしていたのです。『飢え』は、国連WFPのハンガーマップに示された国々ばかりでなく、昔の日本にもあったのです。

今、地球上の三十五パーセントの人々が、栄養不足の状況にあるそうです。また、『飢餓』が原因で、五秒に一人の子どもが亡くなっているそうです。安全な水が飲めない人が、十億人以上いるそうです。私は、中村さんに会って、『飢餓』が、よその国のこと、他人事ではすまされない問題だと思いました。日本は、食べ残しできるほど、ぜいたくな国になりました。しかし、昔から、そうではなかったのです。大人が進む方向を間違えただけで、子どもは、飢えていました。

私は、今年、昔の日本の子どもの姿を、知りました。とても悲しく、恐ろしい様子でした。そこで、私は、この経験を活かそうと思いました。前に見たことがある、WFPの募金箱に、おこづかいを少しずつ募金しようと思いました。『飢餓』は他人事ではないから。

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